映画「羊の木」の「羊」と「人間」の関係性

 

 

 

羊の木、公開おめでとうございます!

2日目に見に行けましたので、気になったこととか、ネタバレをメモ書きの意味で書いていこうと思います。

 

 

 

 

「羊」とは

宗教的な羊

よく、キリスト教で「迷える子羊」というように、聖書ではよく「羊」「子羊」という単語が出てくる。羊というのは習性として、「先導者について行く」という性質を持っており、そのため羊飼いという存在が羊らを牧草地まで導いていく。この構図から、人々は羊。そして何をすればいいかわからない羊(人間)を導いてくれる羊飼いをイエス・キリストと比喩している。(イエス・キリストの象徴的な呼び方として、善き羊飼いというのがある。)(また、神の仔羊もキリストを指す言葉である)

 

 

メタファーとしての羊

「羊」というのは、基本的に被捕食者、つまり弱者の立場にある。そのため、彼らは群れという集団を作って行動し、狼などから狙われにくいようにしている。

大江健三郎の作品に「人間の羊」というものがあるが、この中では外国兵は強者、日本人乗客は弱者(羊)である、と読める描写があり、他にも「犠牲の羊」という単語が出てくる。「犠牲の羊」とはすなわちスケープゴート(生贄、身代わり)という意味合いが強い。

こういったことからも、羊は動物であるというだけでなく、社会の中の弱者も指すのではないだろうか。

 

 

映画内での「羊」

では映画の中での羊は誰になるのか。これは、きっと魚深に越してきた6人の元受刑者たちだと思う。映画の中で、市役所の課長(月末の上司)によって「何の問題もない、とされても身元引受人が居なければ仮釈放が出来ない。しかし、今回居住地と勤務先が決まれば大幅に刑期を短縮して釈放できるようになった。」「魚深の過疎対策と刑務所の経費削減のための政策である。」といった説明があった。つまり、この6人の元受刑者は身元引受人のいない独り身。また、刑務所から帰ってきたというのは、彼らがたとえ更生していたとしても付き纏う重たい過去で事実だ(だから、月末たちもそれを隠して受け入れてくれるように各所に頼んだのだし)。なかなか周囲の目も気になるだろう(実際、福元さんは過去を知られることに怯えていた)。

こういった姿から、6人の姿は先導者のいない「迷える子羊」に重なるように私には思えた。「羊」が「群れ」を探しそこに溶け込み生活する=6人が自身のコミュニティを探し、この小さな町で過ごす、は同義なのではないかと冒頭は感じた。

 

 

 

 

 

 

「のろろさま」 と「のろろ祭」

のろろさま、めっちゃ怖い。夢に出そうなフォルムしてるほんと。

「のろろ」とは、舞台である魚深に祀られている土地の神のこと。「もとは海からきた邪悪な化け物だったが、村人との戦いに敗れて守護神となった」とあり、崖の上には巨大な像が立てられ、年に1度「のろろ祭」が開催される。古来その姿を直接見ることは禁忌とされていて、劇中でも町にいる人々は家に篭もり、祭り会場にいる人々は「のろろさまがいらっしゃいました」の言葉と共に顔を伏せる描写がある。

こういった、地方に伝わる言い伝えは人に少し恐怖心を与えると個人的に思っているのだが、今回羊の木では元々存在した人間への不信感による恐怖に、この得体の知れないものへの恐怖がプラスされていたな、と感じた。まぁ、6人の元受刑者ものろろさまも得体の知れない人である、といえばそうなんだけど。

劇中ではこの「のろろ祭」を境に、平穏はどんどんと失われていく。杉山は自分以外にも同じ立場の者がいると気付き、コンタクトを取り、退屈な日常から抜け出すために再び犯罪に手を染めようとする。そして、宮腰は昔の敵を取りに来た男や杉山、また無関係の男を殺してしまった。

ここから宮腰と杉山、二人の元受刑者は「群れに溶け込もうとする羊 」なのではなく、むしろ「群れに溶け込もうとする羊を脅かす存在」=「狼(捕食者)」だと考えられるのではないか。

 

 

 

 

 

 

「羊の木」

タイトルの「羊の木」は、原作漫画の表紙や映画内での看板にもなっているが、これは羊が木に成るという伝説の植物「バロメッツ」が元だそうだ。またスキタイの羊、ダッタン人の羊、リコポデウムとも呼ばれる。かつて、ヨーロッパ人が「綿は羊の木から採れる」 と思っていたことから、羊の木とは「どこまでも純粋で単純な発想」「信じるという事」という意味だと原作では説明されている。つまり、「羊の木」という作品は、前科持ちの新住民との関わりによって「人を信じることとは何か」のようなものが問われているんだと思う。

先ほど映画「羊の木」の中での羊とは元受刑者6人のことを表しているのでは?と言った。また、劇中で出てくる羊が5匹の木に成っている絵も6人を表しているのだと思っていたが、そうだとすると矛盾する点がかなり出ている。

 

1. 5匹の羊と6人の元受刑者では数が一致しない。

2. 宮腰と杉山は社会のコミュニティに溶け込まなかった、平穏を脅かす存在である。

3. 福元(水澤紳吾)の勤める理髪店の店主も前科持ちであった。

 

これらも踏まえてみると、あの5匹の羊は社会に溶け込むことのできた人たちを表しているのではないだろうか。理髪店の店主は十数年前に魚深に来て、市民に受け入れられた人間の一人だ。福元は理髪店の店主に受け入れられ、太田(優香)は月末の父と恋人関係になった。大野(田中泯)には、元ヤクザだと知っても店にいればいいと引き止めてくれるクリーニング店の主人がいた。最後、二人でセルフィーを撮っていた場面はほっこりする。栗本(市川実日子)は命を落とした小動物を埋葬し続け、ラストシーンではそこから芽、つまり新しい命が誕生した。

この5人は自分が変われることを信じ、また他者からも信じられた人々=羊の木だと考えられた。

 

 

 

 

月末と宮腰の友情

宮腰のことを最後まで信じ続けたのは月末だった。 もしかすると、宮腰本人より信じていたのかもしれない。

月末は町に来た人に「いい町ですよ。人も良いし、魚も美味いし」と繰り返し言い続ける。基本的に月末が能動側、会話の始まりを握っている。しかし、宮腰だけは「いい町ですね。魚も美味そう」と自ら会話を始めた。また月末に「月末さんはいい人」だとも言う。月末は本人の気性か宮腰の言葉のせいか、いい人であり続けた。先入観を持たないように振る舞い、友達にまでなった。

宮腰は度々、「それはどっちの立場で謝っているの(聞いているの)?友達として?市役所として?」と聞き、その度に月末は「友達としてだよ」と答える。しかし、宮腰からすれば実はその言葉が一番信じ難いものだったんじゃないだろうか。恋人関係になった文(木村文乃)は、宮腰が元殺人犯だと知って怯える素振りを見せた。それが大多数の反応だ。なのに月末は最後まで「友達だろ!」と言い続けた。宮腰にとってはそんな月末が理解出来なかったのかもしれない。

宮腰は、友達を求め、崖から共に飛び降りる人(共に生贄になる人)を探しながらも、その実「友達」という言葉を一番信用していなかったのかもしれない。だから彼は羊(群れに溶け込む人)にも羊の木(信じる人)にもなれなかったんじゃないだろうか。一見サイコパスのように見えるが、心の底では他者との繋がりを一番求めていたように私には見えて切なく思えるのだ。

 

 

 

 

主題歌「Death Is Not The End」

 主題歌にはボブ・ディランが発表したものを、ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズがカバーしたものが使われている。この曲が収録されたアルバム名は『Murder Ballads』=殺人者の歌で、アルバム名から曲名まで「羊の木」を思わせるような主題歌だ。
  Just remember that death is not the end

 死は終わりではないことを覚えておいて

というフレーズは何度も繰り返されている。死は終わりではない、はまさに6人に向けて歌われているよう。更生に向けて新しい世界を見ている4人にとっては、これからの人生への希望を。宮腰と杉山にとっては、生まれ変わったあとの新しい人生への希望を与えているのではないか。吉田監督としては、「この歌が「希望」と「絶望」のどちらを歌っているのか、何度聴いても分からない」らしい。確かに聞く人の心理によっては希望とも絶望とも取れる歌詞だ。(曲調は明るめなのに)

 

 

 

 

おわりに

ひたすらに思いついたことを書き連ねたのでめちゃくちゃ分かりにくいですが、観た人のいろんな感想が楽しみな映画でした。もう1回整理しつつ観たいなぁ。新しい発見とかありそう。吉田監督が錦戸亮をキャスティングした理由に「普通の人の演技が上手い」「翻弄される姿がかわいい」といったものがあったけど、それを実感しました。6人が初めて来た時の亮ちゃんの演技がすごく可愛い。どう接するべきなのか、戸惑ってるような感じとか。あと、ことごとく振り回される側の役が似合うし好きだなとも思いました。同じ公務員で県庁おもてなし課があったけど、あの時も周りの人に翻弄されてる姿が印象的だったな〜ってなったので、また見れたのめちゃくちゃ嬉しかったです。あと、こんな市役所職員いたら通いたい。普通に。

というわけで一旦おわります!!

 

 

 

 

 

 

追記→最後に文が崖の上から呼んだのは恋人の宮腰ではなく月末だったのは、最終的に信用したのは月末だったからなのかなんなのか考えています。

 

 

 

 

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